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No. 22 日本創傷外科学会会誌「創傷」

 

 この度、長きにわたり努めてきました、日本創傷外科学会会誌「創傷」初代編集委員長を辞すことになりました。ここに、万感の思いを込めて、編集委員長として「創傷」Vol.1, No.1 に掲載した【巻頭言】およびVol.5, No.4 に掲載した【編集後記】を掲載いたします。

 

 

【巻頭言】創刊によせて “道標”〜創傷外科

 日本に形成外科が登場してから半世紀以上を過ぎているにもかかわらず、一般市民のなかには,“形成外科って何?”と問われる方が現在でも多くおられる。形成外科医が日々診療を行っている疾患分野を、国民全体にもっとわかりやすく知ってもらうことが、これからの形成外科にとってきわめて重要な命題である。そして,それが日本国民全体の医療レベルの向上、質の高い治療を受ける権利の向上に繋がっていくことと信じている。そのために、まず日常診療において最も患者数の多い疾患分野を対象とし、形成外科専門医の subspecialty として 2 階建ての指導医制度と診療ガイドライン作成という将来計画が始まった。最初に取り上げた領域は、「創傷」、「頭蓋顎顔面外科〜顔面骨骨折」、「皮膚腫瘍」の 3 つである。「創傷」においては、日本創傷外科学会を発足させ、それが母体となって創傷外科専門医を認定していき、「頭蓋顎顔面外科〜顔面骨骨折」においては、日本頭蓋顎顔面外科学会が基盤となり、顔面の損傷や発育不全を扱う頭蓋顎顔面外科専門医を認定していき、「皮膚腫瘍」においては、日本形成外科学会のなかに特定領域指導専門医制度を立ち上げ、皮膚腫瘍外科指導専門医を認定していく構想である。将来像として,全国の病院の診療科案内コーナーでは、

“形成外科専門医”
 〜創傷外科専門医:擦り傷、切り傷、やけど、床ずれ、傷跡を治します〜
 〜頭蓋顎顔面外科専門医:顔の怪我、骨折、変形を治します〜
 〜皮膚腫瘍外科指導専門医:皮膚のできものやあざを治します〜

という掲示がされ、また外来には各疾患の診療ガイドラインが備えられることにより、患者さんの形成外科に対する理解が大いに深まることになるであろう。形成外科に関連した複数の学会を横断的に包括するこのミッションは、日本形成外科学会が基本領域の学会として認定されている現状を支えていくものであり、今後は、唇顎口蓋裂、頭頸部再建、乳房再建、眼瞼下垂、美容外科などの疾患分野においても推進させていくことが望まれる。
 形成外科の“道標”の一つになり得る日本創傷外科学会は、2009 年 1 月 16 日に第 1 回総会が開催され、私は設立理事の一人として参加し、学会機関誌の初代編集委員長を拝命した。私が提案して会誌名は「創傷」と名付けられ、形成外科領域では初めての試みとなる電子ジャーナルとして発刊される。 科学技術振興機構(JST: Japan Science Technology Agency)が運営する電子ジャーナルサイト: J- STAGE(科学技術情報発信・流通総合システム)にて、本誌は年間 4 号の刊行を計画している。現在, J-STAGE には各領域における学協会より 580 誌をこえるジャーナルが公開されており、学術誌の情報 発信力の強化と知的資産の保存に大きな役割を果たす。私は、“形成外科医は傷を治すプロフェッショ ナルである!”と考えている。“きれいに傷を治す”そして“治りにくい傷を治す”ことが、創傷外科の目指すところであり、学会会誌「創傷」がその発信源となるように微力ながら尽力していきたい。本誌が質の高い論文を掲載していくには、投稿者はもとより,編集委員の査読における真摯な姿勢がきわめて重要である。私はこの分野における選りすぐりの精鋭たちに編集委員をお願いし、さらに下記のメールを配信した。
 “本来、編集委員の主たる作業は、投稿論文の査読業務でございますが、本誌の創成期におきましては、投稿論文収集に苦労することが予想されます。創刊のスタートを華々しく飾るためには、多数の良 質な論文を掲載することが重要なことは言うまでもございません。つきましては、この点をご理解頂き、編集委員の各先生には、論文の筆頭著者、共著者どちらでも構いませんが、是非とも最低 1 篇以上の論文を執筆、投稿していただけますと誠に幸甚に存じます。”  
 おかげをもって、編集委員の皆からは快い御返事をいただき、多くの論文が集まり、さらに昨年開催された学術集会における優秀演題発表者からも積極的な論文投稿をいただいている。本稿において心より感謝を申し上げたい。現在総勢 26 名の編集委員とともに、投稿された玉稿の査読業務に励んでいる。今後本誌が形成外科学の発展に大いに寄与していくことを祈念する。最後に、本誌創刊に際して多大なる御尽力をいただいた、春恒社 山田浩子女史、上原薫女史に深謝いたします。

 

〜 創傷 1(1), 2010より

 

 

【編集後記】 BON VOYAGE

 この度、2010年4月1日に日本創傷外科学会会誌「創傷」を創刊以来、6年間にわたり努めてきました初代編集委員長を辞すことになりました。この編集委員長の交代は、私より鈴木茂彦新理事長に申し入れ、お認め頂いた次第です。その後、事務局からこの編集後記の執筆を依頼されて、真っ先に脳裏に浮かんだのは、編集委員長として「創傷」Vol.1, No.1 に掲載した巻頭言、「創刊によせて “道標”〜創傷外科」をもう一度読み直そうという思いでした。そこには、当時の高邁な信念と強い意欲、そして少なからずの不安が交差しており、懐かしい感情が沸き上がりながら、本稿を記しています。
 2009年、私は日本創傷外科学会の設立理事の一人として、盟友の清川兼輔理事、朝戸裕貴理事とともに、学会立ち上げに参加いたしました。設立当時は、広報・企画・会報委員会を3人で担当するよう仰せつかり、皆で相談の結果、清川兼輔理事が企画担当として診療ガイドラインの作成を行い、朝戸裕貴理事が広報担当として学会ホームページを開設し、そして私が会報担当として学会会誌を編集発刊することになりました。野賦イ弘初代理事長より、“本学会は斬新な感覚をもって活動し、将来の形成外科の道標になるよう発展させて欲しい!”という強い命を受け、私は、学会会誌名にインパクトのある「創傷」という名称を付け、さらに冊子体を作成しない、完全電子ジャーナルとしての創刊を目指しました。それは、形成外科領域において初めての試みであり、周囲からは多数のご心配の声を頂いたのを覚えています。幸い、第1期編集委員会には非常に優秀な精鋭達が揃い、私の依頼に十分応えて頂き、質の高い査読業務だけではなく、自らが多くの論文を投稿して下さり、良い船出をすることができました。この場をお借りしまして、当時の編集委員26名の皆様に深く感謝申し上げます。その後、“君もオンラインジャーナルで世界へ羽ばたけ! ”というキャッチフレーズに呼応し、多くの若い会員を中心として、数々の玉稿を投稿して頂き、これまで順調な発刊を続けてくることができました。現在、国内からはもとより、海外からのアクセス数も年々増加の一途をたどっております。
 そして今日、日本創傷外科学会会誌「創傷」は貴志和生第2代編集委員長の下、新たなスタートを迎えます。私が熟考の上、新編集委員長候補の指名をさせて頂き、鈴木茂彦新理事長にご快諾を得ました。これから、この「創傷」がどのような階段を上り、新たなるステージに向かっていくのか、とても楽しみにしております。最後になりますが、この6年間にわたり、多くのご協力、ご支援を賜りました役員、会員各位、そして何より、私の編集委員長としての業務を献身的に支えて下さった、春恒社の上原 薫女史に心よりお礼を申し上げます。

〜 創傷 5(4), 2014より

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